• 『仮面ライダージオウ』、平成仮面ライダーを締めくくる夏の劇場版を田崎竜太監督が語る!
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2019.07.25

『仮面ライダージオウ』、平成仮面ライダーを締めくくる夏の劇場版を田崎竜太監督が語る!

『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』より田崎竜太監督。劇場版「ジオウ・リュウソウジャー」製作委員会 (C)石森プロ・テレビ朝日・ADK EM・東映 (C)2019 テレビ朝日・東映AG・東映

歴代の平成仮面ライダーの力を駆使して戦う『仮面ライダージオウ』と「恐竜」と「騎士」をモチーフにスーパー戦隊43作目『騎士竜戦隊リュウソウジャー』の夏映画が7月26日(金)より全国公開される。
そこで、『仮面ライダージオウ』のパイロット監督であり、『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』のメガホンをとった田崎竜太監督に、平成から令和へと時代を超えていく『仮面ライダージオウ』という作品への思いを伺った。(取材は2019年5月22日の夏映画製作発表時にて)



◆平成仮面ライダーというものを締めくくる作品にしよう

——タイトルの『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』を見て、もう先に決まっていたのかなと思いました。

田崎 「Over “Quartzer”」が主題歌だからね。そういうところがうまいでしょう?

——はい(笑)。

田崎 取材上、そうしといてください(笑)。「Over “Quartzer”」って主題歌を聞いたときは何だろうって思ったけど、「これだったのか!」と思っていただきたいなと。

今回の映画は平成仮面ライダーというものを締めくくる作品にしようというところは、プロデューサーの白倉(伸一郎)さん、脚本の下山(健人)さん含め、目指してたゴール地点なんですよね。

でも平成ライダーと言っても平成はもう終わっちゃってるじゃないですか。実はみんな令和の民なんですよね。それに対して平成ライダー云々っていうのを今さら出すって言うのは何なんだろうこの映画? っていう疑問とか、令和ライダーにしなくていいのかな? とか、まだ平成って言ってる俺たちって何なの? とか、そういった事を含めて練っていった作品かなと思います。

——「王様になる」と言う常磐ソウゴのキャラクターを視聴者にすぐに受け入れさせるのは難しかったと思うのですが、TVシリーズの1・2話を監督された田崎監督にとってキャラクターを作り上げていくのは大変だったんでしょうか。

田崎 ラスボスが自分っていうのが『仮面ライダージオウ』のコンセプトとして一番大きな大黒柱だと思ってるんですけど、自分もしくは自分に非常に近い者がラスボスであるというところって、実は割とヒーロー作品の中では王道かなと思っていて。

例えば、仮面ライダーBLACKに対してのシャドームーン。あれはほとんど双子のようにして育てられた兄弟がシャドームーンで、それは言い換えれば、“自分ダッシュ”みたいなものですよね。(南)光太郎に対して、秋月信彦という“自分ダッシュ”みたいな人がシャドームーンとなって敵にいて、自分は仮面ライダーBLACKとしてヒーロー側にいるっていう構図に近いかなと。

それは『ジオウ』で言うところの50年後の自分、“自分ダッシュ”なんだけども、そういう意味では、実はそんなに苦労してはいないです。僕の中ではすんなり納得がいっているので。例えばそれは『マイティ・ソー』のソーに対してのロキとかも同じだし、『バーフバリ』においても血を分けてないけど兄弟に近い者がラスボスだったりとかそういうことって多いような気がする。

ソウゴとオーマジオウって年齢がすごく違うんですよね。オーマジオウが50年後の自分だから68歳のおじいさんなんですけど、それでも“自分ダッシュ”という点は変わらないので、そこを読み換えると、実は王道かなっていう気もしなくもない。唯一違うのが、自分がやがてアレになるっていう道筋があるということ。それが『ジオウ』の特徴かなと。そこをどういう風に視聴者に楽しんでもらうかということですよね。

仮面ライダーというものが敵組織に改造された力で戦うという基があって、仮面ライダーシリーズの歴史は変わってきたけれど、敵と同じオリジンを持っていることは割と多いんですよね。例外で『響鬼』とかいますけど。敵と同じ力で戦うっていうのはそういうことだと思うんです。そこには何かちょっとしたスポーツマン精神みたいなものがあって、敵と同じ力で勝つからこそカッコイイっていう。敵と違う力で勝ってもそれはズルになるんじゃないのっていうようなところはあるような気がしているんです。

文/村北恵子