• ライバルから戦友に…ちばてつやが語る「石ノ森章太郎と過ごした日々」
  • ライバルから戦友に…ちばてつやが語る「石ノ森章太郎と過ごした日々」
2019.07.31

ライバルから戦友に…ちばてつやが語る「石ノ森章太郎と過ごした日々」

公演中のちばてつや先生(左)

世田谷文学館で6月30日(日)まで開催されていた企画展『萬画家・石ノ森章太郎展 ボクは、ダ・ビンチになりたかった』の関連イベントとして、2019年6月16日(日)、『あしたのジョー』『おれは鉄平』『のたり松太郎』などでお馴染みの漫画家・ちばてつやを招いて講演会が行われた。司会をフリー編集者の今秀生が務め、150名のファンが集う中、石ノ森章太郎と過ごした日々を伺う貴重なイベントがスタートした。その模様を一部紹介する。

ちばてつやと石ノ森章太郎は1歳違いの同世代だが、ちばは中国からの引き揚げ者だったことと母親が漫画が嫌いな人だったことから漫画との出会いがすごく遅れたという。「トキワ荘のみんなは十代の頃から『漫画少年』に投稿していたけど、私は全然知らなかった。そういう意味では異端者だった」。トキワ荘のメンバーが手塚治虫に憧れて漫画家になったのとは違い、手塚治虫を知ったのはマンガ家デビューしてからというちば。ちなみに一番最初に読んだマンガは拾ってきた杉浦茂の豆本で、「すごくシンプルな話なんだけどすごくドキドキした」という。

トキワ荘のメンバーとの出会いは短編『トモガキ』で描かれた。『少女クラブ』別冊用の『ママのバイオリン』執筆でカンヅメになっている時に編集者とふざけて大ケガをしてしまい緊急入院、編集者が代筆をトキワ荘に頼みに行った。トキワ荘のことは知っていたが、そのお礼で訪れるまでトキワ荘のメンバーには会ったことがなかった。「ちょうど自分たちの締切を終えてやっと寝られるという石森さんたちに『ちばさんがケガしたんで手伝って』ってお願いしてくれたそうです。石森さんってちょっと親分みたいなところがあって、「どうするみんな?」って聞いてくれた。そうしたら赤塚(不二夫)さんたちが『困ったときはお互い様だよ』と言って、そこからまた徹夜して仕上げてくれたの」。その時に代筆してもらった原稿をちばは今も大事に持っているそう。

そこから長い付き合いが始まったちばと石ノ森。会うとどんな話をしていたのかというと「漫画家同士で会っても漫画の話はしない。お互いの作品をどうのこうの絶対言わない。映画の話か女性の話(笑)。まぁでもだんだん病気と薬の話をするようになりました。『この薬効くぞ』って(笑)」。
石ノ森の体調悪くなった晩年、秋田県玉川温泉への療養旅行にちばが同行した事があった。「いわき市で行われた『MANGAサミット』第1回を無事に終えた後、さぁ帰ろうと思ったら石森さんが『湯治に行くんだ。すぐそこだから、ちばさんも一緒に行こう』って。私は地理音痴でよくわからずに同行したんですけど、なんとそこから車で五時間くらいかかりました(笑)。石森さんは私のアトピーにも効くからなんて言ってたけど、実はラジウムが凄く強くてアトピーにはあんまり良くなかったんですよ(笑)。でも結局5日ぐらい一緒に居たかな。いつも忙しかった石森さんが、あんなに穏やかな時間を過ごしたことはそれまでなかったんじゃないですかね。色紙にお地蔵さんの絵を描いたり、俳句を考えたり、そういうことをのんびり楽しみました。周りには何にもないし、外へ出たら満天の星で、本当に大自然の中でしたね。朝、石森さんと一緒に森の中を散歩したりして。私にとってもあんな日々は初めてでした」

ちばにとって石ノ森は「昔は恐ろしい存在でしたよ。『JUN』や『仮面ライダー』みたいな、私の中にはまったくないような世界を、思い切ったコマ運びや演出で描く天才ですから。それに、何億年前の恐竜だとか、そういう資料のないようなモノでも、何も見ないでさっさと描いてしまう。それで、石森さんのことを手塚治虫さんも恐れていたんじゃないですかね。同業者のライバルに、面白いものや自分が思いもつかないものを描かれると、どんどん置いて行かれるような気がして、すごく焦るんです。だけど、締切に追われたり、アイデアが出なくてうまく描けなかったりする恐怖を、石森さんも同じように感じているんだということがわかってくるから、「ライバル」が「戦友」になっていくんです。そのうちいいものを描かれても、これは面白いねって心から言えるようになる。互いの気持ちがわかる、同じ苦労を知っている仲間として、いい友達になっていきました」と語った。


ちばてつや Profile
1939年(昭和14年)1月11日、東京都・築地生まれ。同年11月に朝鮮半島を経て、1941年1月旧満州・奉天(現中国・遼寧省瀋陽)に渡る。1945年終戦。翌年中国より引き揚げる。1950年、友人の作る漫画同人誌「漫画クラブ」に参加。1956年、単行本作品でプロデビュー。1958年『ママのバイオリン』で雑誌連載を始め、1961年『ちかいの魔球』で週刊少年誌にデビュー。主な作品に『1・2・3と4・5・ロク』『ユキの太陽』『紫電改のタカ』『ハリスの旋風』『みそっかす』『あしたのジョー』『おれは鉄兵』『あした天気になあれ』『のたり松太郎』など。現在小学館の『ビッグコミック』にて『ひねもすのたり日記』を連載中。講談社児童まんが賞、小学館漫画賞、紫綬褒章、旭日小綬章など受賞歴多数。文星芸術大学学長。日本漫画家協会会長。東京都練馬区在住。

世田谷文学館公式サイト

※石森章太郎は1986年のデビュー30周年を機に石ノ森章太郎に改名。本文中、ちばてつやが語っている箇所では、愛称の意を込めた旧名(石森)をそのまま使用しています。尚、石ノ森の「ノ」は1/4角が正式表記になります。
※手塚治虫の「塚」は点がある旧字が正式表記になります。

文/今秀生