• 『天気の子』興行収入100億円突破! 新海誠インタビュー「世界を変える」
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2019.08.19

『天気の子』興行収入100億円突破! 新海誠インタビュー「世界を変える」




世界と個人と社会を足元の歴史がつなぐ


──もうひとつ、映画を観ていて、諸星大二郎さんのマンガを想起しました。それは何か、意識していたことがあるのでしょうか?

新海 ああ……なるほど。ただ実際、僕は諸星さんのマンガってほぼ読んだことがなくて。諸星さんと通ずるテイストで言うなら、僕はむしろ星野之宣さんですね。星野さんの作品は大好きで何冊も読んでいます。それと、『海獣の子供』の五十嵐大介さんも好きです。風土や民俗学とSF的な想像力がミックスされた物語。「SF民俗伝奇物」みたいな感じですね。諸星さんもそういう作風だと思いますが、星野さんもそうだし、五十嵐さんもそうで。僕たちが住んでいる風土のかたちを少し教えてくれるような作品が、そもそも好きなんですよ。

──『君の名は。』もそうでしたよね。我々の住んでいる現実に限りなく近いけれど、不思議なこともちゃんと起きている世界。もちろん新海監督作品には以前からSF的な要素はありましたが、大きなエンタテイメントに向かおうとする時に、そういう方向により強く舵を切ったのはなぜでしょうか?

新海 僕自身そんなに器用ではなく、いろんなジャンルを自在に操れるタイプの作家ではないので。自分の水源がどこにあるのかと考えて、ある時期から自覚的になったのは、「自分の足元じゃないか」ということです。自分の生まれて育ってきた場所に対する感覚、もっと言えば日本的なもの……といっても「国家制度」としての日本ではなくて、もう少し風土のようなもの……たとえば伝承のようなもの、日本昔話のようなもの。日本昔話のような物語って、なんとなく実感としてしっくりくるんですよ。
 「おむすびころりん」という話がありますよね。おにぎりが転がって穴に落ちちゃって、その穴の中にまだ知らないネズミの国がある。そんな世界が、西洋的なドワーフやトロールがいるような世界、剣と魔法の世界よりも、僕には体感として何だかわかるんですよ。地下のネズミの国だったらあるような気がする。おにぎりがそこに導いてくれそうな気がする。あるいは、鳥居をくぐれば何かがありそうな気がする。今はそんな、自分が実感としてわかるその世界で物語を描きたいという気持ちがあるし、ある時点からはっきり、物語を汲み取ってくる場所もそういうところに求めるようになりましたね。

──実は、そういう「現実だけど不思議なことが起きている」大きな世界を、新海監督はイメージされているのではないか? と感じたのですが。ある種のクロスオーバーといいますか……。

新海 ああ、『マーベル・ユニバース』みたいな? いや、そこまでではないです(笑)。ただ『君の名は。』も今回の『天気の子』も、少しだけ先の時代の東京を舞台にしているという一応の時代設定は共通だし、『天気の子』を作りながらも「そういえば瀧と三葉は今頃、何をしているのかな」とか想像したりはしていました。

──伝奇的・風土的世界とボーイ・ミーツ・ガールのドラマのバランスの取り方が絶妙でした。この組み合わせ方が、これから新海監督の作家性の軸になるのかも? とも思ったりもしました。

新海 どうでしょうね、まだ次作のことは完全に白紙で、次もボーイ・ミーツ・ガールをやるのかどうかも全くわからないです(笑)。ただ、たとえば今回、東京のいろいろな場所をロケハンして、その場所の地理的な成り立ちみたいなものも調べて作ったりしたのですが、年を取ってくると自分の足元がどうなっているのか気になってくるというか(笑)。若い頃は「歴史なんか別に関係ないや」と思っていたけれど、多少そちらに目が向いてきてしまいます。別に「国家」とか「国粋主義」的なものに興味はないですが、お米を食べて幸せとか、神社があるとなんとなくお参りしてしまうとか、そういう感覚は多分、この国に生まれた人の多くが否応なしに共有していることだと思うので。そこをもう少し掘っていきたいという気持ちはありますね。

──そういった歴史的な背景や、神秘的な要素も含めた世界の成り立ちのような大きい話と、男の子と女の子の個人的なストーリー。その構図はかつて「セカイ系」とも呼ばれました。でも『天気の子』は明らかに、セカイ系とは似て非なる物語を語っていますよね。

新海 そうですね。セカイ系って定義が曖昧なところもありますけど、一般的には「個人と世界が直接つながって、社会が存在しない」という言われ方を、かつてよくしていたと思います。そういう意味で今回の『天気の子』はある種、典型的なセカイ系のようにも見えるかもしれない。でも今回は、明快に社会がある物語だと思うんですよ。帆高が社会から逸脱していく話、彼が社会のレールから少しずつ外れていってしまう話です。逆に言えば、それは自分たちが生きているベースの社会がなければ描けないことですから。
 2000年代初頭にセカイ系的な想像力があったのだとしたら、今は少しかたちが変わってきましたよね。その意味で『天気の子』は、かつて呼ばれていたセカイ系ではないとは思うけれど、でもあの時、僕たちが描こうとしていたことの最新版としての映画にもなっているとは思います。

──帆高と陽菜はクライマックスで、「世界」と「自分たち」の狭間である選択をします。でも、その選択は「社会」という現実のなかでなされるということが、物語のなかでしっかりと描かれてて。だからこそ『天気の子』のストーリーやその結末は、様々な反応を呼び起こすのだろうなと思います。

新海 そうですね。あの結末をポジティブな空気で受け取ってもらえるなら嬉しいですが、同時に、やっぱり「許せない」という人も出てくると思いますし。この映画を観客がどういう受け取り方をするのか。そここそが見たくて作った映画でもあります。

──インタビュー前半でもおっしゃっていましたが、批判を含め多様な意見が出るであろうことは覚悟しているし、それを楽しみにしている、と。

新海 そのために作ったんだ、という気持ちはありますね。だから、スルーされて何の意見も出てこないのが一番こたえるので(笑)、たくさんの人に観てもらえるといいなと思っています。


(C)2019「天気の子」製作委員会

文/アニメージュ編集部

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