• 欅坂46平手が叫ぶ「僕は嫌だ!」の起源は『ダイターン3』なのか?
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2019.12.08

欅坂46平手が叫ぶ「僕は嫌だ!」の起源は『ダイターン3』なのか?

2019年12月03日発売『無敵鋼人ダイターン3 Blu-ray BOX』 (C)創通・サンライズ



 新宿アドホック2Fにいくと『響 小説家になる方法』のコミックス最終巻が出ていたので、ほかの本とともに購入。どうせ死ぬけど本を買うのは止まらない、死ぬまでかかっても読めない量の本があるのに。まあ、現実逃避がどこまでできるか、ですね。

 そうそう『』は1巻から面白く、人にも勧めていたりしたのだが、映画も観ましたよ。

 私のアイドル関係の素養は、10代のころは薬師丸ひろ子(年寄なのでね)で、ずっと飛んで吉田豪氏が初期のももいろクローバーをラジオなどで絶賛していた折に仕事をしていたので(このころ作ったのが『サブカル・スーパースター鬱伝』です)、いつしかももクロを追いかけていたり、ぐんぐん増えていった吉田氏のアイドル仕事を確認していたぐらいで、坂道の皆さんについては詳しくなかったのですが、『不協和音』で「僕は嫌だ!」と言うのを聞いて、

 『ダイターン3』じゃん‼

 と思ってから、平手友梨奈という人は気になっていたので観たら、良い映画だったので嬉しく思った次第でした(自分が人に勧めるくらい好きでも、あまり売れてる気配のなさそうな本はありますからね。『響』は売れて、ほんとうによかった。近年のコミックスでは岡田屋鉄蔵『口入屋兇次』は大傑作だから、もっと続いてほしかったな)。





 ということで、アドホック1Fは映像ソフトを販売しており、『無敵鋼人ダイターン3 Blu-ray BOX』の発売が直前となっていることを思い起こす。

▲2019年12月03日発売『無敵鋼人ダイターン3 Blu-ray BOX』 (C)創通・サンライズ

 そう、だから、あの頃の「僕」も「嫌」だったんだよ。

 1978年春から始まった『ダイターン3』の最終回が放送されたのは1979年、私が15才になったばかりで、盗んだバイクで走り出さないタイプの方法で「現実逃避」をしていたから、放送開始以来のコメディ路線が転調した最終回で、敵の女性幹部(?)コロスの死のエピソードから、今でいうチャラ男のようにふるまってもいた破嵐万丈の絞り出した「僕は嫌だ」という謎をはらんだセリフ、そして番組最後のギャリソン時田が口ずさむ主題歌――といった展開には感動した。『海のトリトン』『無敵超人ザンボット3』と『機動戦士ガンダム』の間に挟まれていて評価的には谷間のように思われているかもしれないが、『ダイターン』は本当に深みのある名作だと今でも思う。



 それから28年経った2017年、「僕」の主体は平手友梨奈という「女性」となり、それを男たちが称賛している――悪くはないけど、多少は如何なものかともいわせて欲しい。

 アメリカの「#MeToo」運動にかぎらず、女性がどうやって男権主義を解消していくか、発言者としての「主体」獲得していくかが社会的なテーマになっている。元でんぱ組.incの最上もがの前に、私が一番最初に出会った「ボクっ子」は高橋亮子のマンガ『つらいぜ!ボクちゃん』だ。しかし1974~1975年に「少女コミック」に連載されたこの少女マンガ、主人公のボクちゃんは見た目はボーイッシュだが内面は乙女だった(どちらかというと数年後の文月今日子『銀杏物語』のほうが少女の決意が読み取れる)。

 60年代のカウンターカルチャーの胎動のなかで、性別による抑圧へのアンチテーゼとして男は長髪、女はズボンといった旧来の規制に反するファッションが、団塊の世代(1947~1949年生まれ)に広がり始めたのだが、それから幾星霜。

 その団塊の世代では、三田誠広(1948年生まれ)が、1977年に『僕って何』というタイトルの小説で芥川賞受賞、文学の中心はまだ「僕」や「俺」という「現実と対峙した男」の問題で、だから『ダイターン』で「嫌だ」という主体は悩める青年・破嵐万丈であったのに、いつの間にか男は、自分の加害者性に耐え切れない「男子」となって、エロゲーから泣きゲーが生まれて、草食系が繁殖。アニメーションとして京アニの出世作『AIR』が2005年に人気を博して、ひとつの潮流が生まれた。

 それとは対照的に女子は、『風の谷のナウシカ』や『美少女戦士セーラームーン』『カードキャプターさくら』が公開・放送され、「戦闘美少女」などといった言葉も生まれて、女性が主体としてふるまうことは当然のこと(その変化の経緯もとても面白い――たとえば高橋留美子によって梶原一騎はいかに抹消されていったのか――のだが)となった。それにともなって、草食化した男子は、自分たちにかわって戦う少女の「嫌だ」をうっとりと聞くようになった。君の「嫌だ」を僕は理解できるよ、と。昔よりましだと思うけど、戦う君の歌を戦わない男が崇めるだろう、というのは、如何なものかというわけだ。

 もうちょっとすれば、少女が自己人称を「僕」とかを使わず、「私は嫌だ」としても魅力的な歌詞となりえる時代が来るのだろう。今だとまだ、男の多くはそれに恐れおののき、#MeTooの被告のように身を縮めてしまうかもしれないから。

 新作の『ターミネーター/ニュー・フェイト』が女三代戦闘家族になったように(興行的に苦戦、というのはいい状況ではないかもしれないが……あんなに面白かったのに)。

 最後に、平手友梨奈は髪を染めるとコロスによく似るよね。
▲コロス:『「無敵超人ザンボット3」&「無敵鋼人ダイターン3」』CDジャケットより

7代目アニメージュ編集長(ほか)大野修一

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