• 『映像研には手を出すな!』を観ながら、ふたつの歌合戦について考える
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2020.01.19

『映像研には手を出すな!』を観ながら、ふたつの歌合戦について考える

『映像研には手を出すな!』を観ながら、ふたつの歌合戦について考える

【コラム】現実逃避に首ったけ⁉  
(5)アトムの子=日本人だからこそ、妄想の平和活用を‼ 

年末に考えたことを書こうかと思ったのですが、1月5日からのNHKアニメ『映像研には手を出すな!』がよかったので、その話を含め、とりあえずここしばらくのことのメモを、備忘録のように列記していきます。

 【メモ1】しばらく説明が多くて停滞していたマンガ『進撃の巨人』だが、コミックス最新30巻が、すごく面白くてワクワクした。加害(者)と被害(者)の立場が、時間・場所・関係・視点によって、この巻1冊のなかでもぐりんぐりんと変わり続けていて、「正義」を強弁することのうさん臭さが実感できる。この数巻、組織とか国とか軍とか集団を題材にしていて、隔靴掻痒な展開だったが、個人の内面にフォーカスが当たっているせいで、いろいろ届いてくる。

 そこから「中二病」について考える。私が中二のころは「中二病」とか(いわんや厨二病をや)、「引きこもり」や「メンヘラ」なんて言葉は無かった(やっぱりエヴァのシンジ君が同表現の発生源だとしたら、それでもすでに四半世紀前の時間が経っているのだが)。しかし、中二病的感性は昭和からまちがいなくあった。日本人はつねに「宮沢賢治」と「太宰治」両者の不安と惑いが大好きで、それが「中二病的根源」だ。それに思春期特有の自己本位な「暴力・破壊衝動」をふりかけると中二病はぐっと悪化して宿痾になる。むかしからSF関係の格言として「SFの黄金時代は12才」と、読者年齢について言われているが(こちらはアメリカ発)、その、妄想が健全に成立する「黄金の12才」から、2年の思春期にまみれ、性欲に直面して腐ったのが「中二病」。つまり妄想に暴力志向が加わってしまった後、どうやり過ごすのかという「青春の課題」なのだが、小児喘息が幼少期に治癒するひとと、後々までの疾患となってしまう人がいるように、大人の中二病はこれからもどんどん増えていくだろう。

 【メモ2】嫌いな言葉、聞くとイライラする言葉、絶対自分では使わない言葉というのはいくつかあるが(皆さんありません?)、芸能界の人が使い始め、いまでは一般人も使う「ツメアトを残す」という言葉が、とても引っかかる。何故だろうと考えてみると、同様の言葉は、かつてなら「結果を出す」と表現されていたのだが、いつの間にか、厳然として客観的な「結果」ではなく雰囲気にちかい「ツメアト」という曖昧で主観なものにすり替わっているのが気持ち悪いのだ。

 その場の「結果」とその後の「評価」にズレのある芸能の世界で、何かから目をそらしながら、何かを強要しているようなおためごかしと洗脳のための表現のように聞こえてしまうためだろうか。だって受験(などの成否が明快なとき)に、「ツメアト」を残してこい、残してきますなんて言わないでしょう。私の不確かな記憶によれば、この表現のでどころが、最近YouTubeに出た島田紳助や松本人志など、「M-1」「すべらない話」「IPPONグランプリ」と競技化志向の強かったふたりの周囲だったような気がして、そこにもまた違和感を感じる。いやいやこれ以上書くと「メモ」のレベルを超えてしまうので、この項は一区切り、またいつか機会があれば。

7代目アニメージュ編集長(ほか)大野修一