• 『映像研には手を出すな!』を観ながら、ふたつの歌合戦について考える
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2020.01.19

『映像研には手を出すな!』を観ながら、ふたつの歌合戦について考える

『映像研には手を出すな!』を観ながら、ふたつの歌合戦について考える


 【メモ6】昨年の1月は病院のベットで、アニメ『どろろ』に熱中していました。手塚治虫のテーマを誠実に掘り下げた傑作悲劇から漂う「死」のにおいに引き付けられ、暇を持て余していたのもあって、海外のアニメ実況ユーチューバーたちが、「善悪」を明快としようとする一神教では、納得しづらいだろう『どろろ』の展開に、ヒ―とか悲鳴をあげながらも魅入っている姿を楽しんでいました。

 アニメージュ編集長時代、海外の方々に「日本のアニメーションはなぜテーマが深く、エロティックで印象に残るのか」とたびたび聞かれましたが、つねに「それは敗戦国家・日本に手塚治虫がいたからです」と答え続けていました。敗戦の現実を、ほかの誰も比肩できない強靭な「妄想力」で上書きしようとしたのが手塚治虫であり、それが妄想に過ぎないことを自覚しているがために「悲劇性」を加えざるを得なかった、多型倒錯の巨人が手塚治虫なのです。

 『どろろ』から1年。病院から離れた私が、令和2年1月に引き付けられたのはNHKアニメ『映像研には手を出すな!』でした。原作漫画はもとから好きで読んでおり、ストーリー途中に挿入される設定画の素晴らしさに感嘆していたのですが、これほどワクワクするアニメーションになるとは予想だにしていませんでした。そうか、設定画は挿入されたものではなく、こちらも主旋律なのだ! 監督は天才アニメーターであり、個性あふれる演出家、すばらしい『クレヨンしんちゃん』を数々生み出した湯浅政明。

 日本のアニメは大きく分けると「虫プロ」と「東映動画」に二分化されます(ほかタツノコ系もあるのですが)。前者は「テーマ性・キャラクター性の魅力」を、後者は「動きの快楽」を中核にして、発展していきました(もはや今では混ざり合って、単純に峻別ができなくなっているのですが)。

 東映動画系のシンエイ動画で能力をふるった湯浅監督が手掛けた『映像研』は、作中で『未来少年コナン』のシーンを引用しながら(NHKありがとう)、主役たちがティーンエイジャーの少女たちであるということもあり、妄想&創作することを「希望」の一点に押しとどめる、「アイドル」と称しても良い作品になっていました。昨年とメンツはあまり変わらぬ、海外のアニメ実況ユーチューバー達の顔には多幸感があふれていました。病後にスキップは踏めなくなっても、小走りくらいまではできるようになった私の顔にも、彼・彼女らと同じ多幸感が現れていれば、幸いだなと思いました。

 みなさん、妄想とは誠実に、前向きにうまく付き合っていきましょう。
 山下達郎『アトムの子』をBGMに。

7代目アニメージュ編集長(ほか)大野修一

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