コロナの時代に鬼太郎は……ーー2年間の『鬼太郎』の最終章は、新型コロナウイルスという妖怪以上に強大な存在と、思いもよらず向き合わなくてはならない状況になりました。もし仮に『鬼太郎』に3年目があったら、コロナを取り巻く世相も物語に反映されていたでしょうか。
永富 それは確実にあると思います。コロナウイルスで浮き彫りになった人間社会のいい部分と悪い部分は、十分『鬼太郎』6期のシナリオの題材にたり得るなと感じました。国際機関と国家間の問題もそうだし、差別問題もそうだし。「鬼太郎だったら何て言うだろう」「ねずみ男だったら何て言うだろう」というのは当然、感じることでもありました。
その一方で、「ぬらりひょんとバックベアードが手を組んで……」という終盤のエピソードで、実はすでにそれを描いていたとも言えるんですよね。目には見えない信頼、愛情、友情といったものでしか、見えない脅威には抗えない。そういうことを表現した終盤の第95〜97話だったので。ただ、それとは別に、みなさんが愛してくれている1話完結型の日常エピソードの中で、今の状況を描いたらどうなるのかな……という妄想をしたりはします。ニュースを聞き、その内容を多方面から調べ直すたびに、『鬼太郎』のシナリオを少し思い出します。
狩野 僕も永富さんと同じで、「鬼太郎だったら……」みたいな妄想はしていますし、今はエピソードが無限に作りやすい時代になったなという思いもあります。
ーー今回のギャラクシー賞受賞は、『鬼太郎』6期がTVアニメ全体、ひいてはTV番組全体のなかでも高い評価を受けたという点で、重要な意味を持つと思います。そこには、「シナリオを練り上げる」という第一段階の作業にエネルギーを注いだ努力の結果も反映されているように感じました。あらためて、TVアニメ『鬼太郎』の作業を2年間完走された今のお気持ちを、お聞かせください。
永富 『鬼太郎』のようなシナリオの作り方が出来るTVアニメーションって、今はとても少ないんですよ。さまざまな行程を経ないとシナリオが完成しないので、同じアニメーションとはいえ、随分違う作業をしていたんだな、と。僕たちがオリジナリティやクリエイティビティを差し挟む余地が多かったという意味でも、『鬼太郎』の現場がいかに価値のあるものだったか、今さらながらに感じます。
狩野 こんなにいろいろ詰め込んで作れるアニメは多分、それほど多くないと思うんです。予算もかかるし。非常に貴重な体験でしたし、ふり返るととても楽しかったです。まあ、今後また必要とされるならば、何かで鬼太郎が出てくるんだろうと思います。それに、他の人がどう『鬼太郎』を作るかも観てみたいですね。
永富 確かに、それは興味ありますね。
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