• 高田明美が語る「意外なきっかけで完成したクリィミーマミの髪型」
  • 高田明美が語る「意外なきっかけで完成したクリィミーマミの髪型」
2020.09.09

高田明美が語る「意外なきっかけで完成したクリィミーマミの髪型」

「魔法の天使 クリィミーマミ」(C)ぴえろ



――高田さんの名前が一躍注目されるようになるのは、やはり『うる星やつら』(81~86年、他)でしょうね。

高田 そうですね。入社してすぐの会社のお花見で布川(ゆうじ)さんと知り合ったんですが、その後布川さんが何年かして鳥海さんたちとスタジオぴえろ(現・ぴえろ)を立ち上げて独立したんです。キャラクター室はタツノコプロの顔だからバイト禁止だったんですが、実は当時、チョコチョコとぴえろのパイロット作品をいろいろと手がけている中で『うる星やつら』も声をかけてもらって。放送が81年の10月からと決まっていたので、片手間ではできなくなってその年の8月15日の終戦記念日に退社しました。でも、忙しくて失業保険の申請も行けなかったんです。

――『うる星』の企画が動き出したのは81年からなんですか?

高田 あの頃は、企画が決まってから半年でOAのスケジュールですね。そこからバーっとシナリオを作って、コンテやキャラクターデザインを進める感じで。当時出ていた4巻分くらいの単行本をいただいて、そこからいい表情なんかを模写してキャラクターにして、表情やポーズの設計図の形にしました。

――『アニメージュ』でも当時期待のタイトルとして、放送直前に表紙・巻頭特集で扱いました(と81年11月号を見せる)。

高田 ビキニのヒロインって刺激が強かったですよね。(記事に掲載された自身の写真を見て)私の髪の毛、チリチリになっているでしょう。フリーゼスタイルにしたかったのに、美容院で何を間違えたのか、アフロにされちゃったんですよ(笑)。

――版権イラストも、この辺りから手掛けられるようになるわけですね。

高田 はい。でも雑誌掲載のイラストは欲しいけれども、ぴえろとしては現場のラインを雑誌に回したくないという(笑)。

――ああ、セル画で本編の作業を止められるのは困るということですね。

高田 だから、私一人で仕上げないといけない。そうなると、やはり大学時代に買い揃えた画材が役に立ちましたね。最初はデザイン画を再現しようと思って、線はロットリングの黒で引いて、色はカラーインクで塗っていたんです。そのうち一番使いやすい鉛筆や色鉛筆で進める自分のやり方になっていったんですけれど。

優しい線と色遣いに魅了されるオリジナルイラスト (C)TAKADA Akemi

――他に当時の思い出などありますか。

高田 当時の押井(守)さんは、わりと納期と予算を守る監督だったんです、今は知りませんけれど(笑)。だからお金をかけてたっぷり動かす回と、止め絵を多くした回のメリハリをつけていたんですね。でも止め絵が多くなると、絵面を派手にするためにキャラクターデザインの負担がきつくなってくるんです。確か十二単衣が出てきた回があったと思うんですけれど、その時のゲスト登場キャラクターの発注がA4の紙3枚分あったんですよ。『(科学忍者隊)ガッチャマン2』(78~79年)なんかだとA41枚に収まるくらいで、メインの3つは天野さん担当だったのに(苦笑)。しかもギャラは1話のグロス扱いだったので、ちょっと辛かったです。

――それは確かに辛い(笑)。しかし大変なヒットを記録して、長く愛される作品になりましたね。

アニメージュプラス編集部

RECOMMENDEDおすすめの記事

RELATED関連する記事

RANKING

人気記事