アップアップガールズ(2)メンバー単独インタビューシリーズ、今回は3期メンバーで一番年上、今年高校を卒業し、その魅力がどんどんあふれ出てきている森永新菜ちゃんの登場です。過去にアイドルグループに在籍していたメンバーの多いアプガ(2)で、アイドルの経験はなかったという彼女ですが、芸能関係はいろいろと経験していたという発言をいろいろなところでしていました。さらにヲタクでニートだったとも常に言っている彼女がどんなことを経験し、現在のアイドル・森永新菜になったのか、彼女を作り出した7つのことについて、いろいろと聞き出しちゃいました! クワトロA面シングル『どのみちハッピー!/雨に唄えば/愛について考えるよ/エンドロール』について聞いた《前編》に続き、《後編》をお楽しみください!
■アニメにハマったきっかけはスウィートボイス!?
――新曲については聞いたので、ここからは森永さん自身について聞いていきたいと思います。なにから聞こうかな……!?
森永 なんでも聞いてください!
――森永さんにはいろいろな趣味や、いろんな部分があるので……ではまず、アニメに最初にハマった、ヲタクになったのはいつからなんですか?
森永 小学4年生の冬休みですね。
――はっきりしてるんですね!
森永 これは衝撃的な出会いがありました。もともと両親がアニメ好きだというのもあって、もっと前からアニメには触れていたんですよ。でも超好きかと言われたら、そうでもなかったんです。いま考えると“無趣味”だったんです。2歳くらいからダンス教室に通わされていたんですけど、ダンスが嫌いでしたし。でも小4の冬休みに『イナズマイレブン』というアニメに出会って変わりました。たまたま宮野真守さんが歌う吹雪くんのキャラクターソングを聴いて、「なんだこのスウィートボイスは!」と思って、声優について詳しい母親に聞いたら「この人は、歌が上手いんだよ」って教えてくれました(笑)。親に聞くと教えてくれるので、ハマりやすい環境だったんですよね。それもあって、どんどんアニメにハマっていきましたね。冬休みで時間あったので、どんどんアニメ観たり、その時はボーカロイド曲もたくさん聴きましたね。そこからいわゆる「踊ってみた」もたくさん観るようになって、ダンスも好きになっていったんです。
――ほうほう、ダンスについてはまたあとで聞くとして、そこから声優を意識し始めたということですかね。
森永 そうですね。大人になった時に好きなことをしていたいな、と思っていたんですよ。それで大好きなアニメに携われる仕事ってなんだろうって考えたら、声優さんというお仕事だったんですよ。それでそこから、声優のオーディションを受けたりしていました。
――そこから、声優を目指すようになったんですね。
森永 父も母も声優になって欲しかったみたいで、「やっと新菜が興味持ってくれた!」という感じですごく応援してくれてましたね。1つテレビの企画で声優になるやつがあって、けっこういいところまで行ったんですよ。次の審査でテレビに出られるというところで、自分のスマホがいいものじゃなくた通知が遅かったりして…映画を観に行って電源を切っていたときにメールの通知がきていたみたいで。それで合格通知を受信したときには、もうその審査の時間になっていて行けなかったという…なんで! と自分を責めてましたね。
■演技を学ぶきっかけは、ミカサ・アッカーマン!?
――そういう事件もあって、そのあとは芸能の学校に通っていたんですよね。
森永 ワタナベエンターテイメントスクールの演技を学ぶコースに通っていました。その頃大好きだった『進撃の巨人』のミカサ役の石川由依さんが舞台俳優出身だということだったので、舞台演技を学べば声優の勉強にもなるだろうということで、中1の頃に1年間通っていました。
――演技の勉強をしていたというきっかけは、声優からだったんですね。
森永 そうだったんですよ。通っていた学生の中では、ちょっと年下のほうでしたね。解らないことばかりだったんですけれども、高校生のお姉さんたちに引っ張ってもらって、がんばっていました。滑舌の練習とかの基礎から、感情を解放させる方法まで凄く勉強になりました。
――それは、いまの活動に活きている部分がありますよね。
森永 『Be lonly together』のMV撮影の時の演技では、本当にその時の経験が役に立ちましたね。2019年11月の恵比寿リキッドルームでの単独ライブ(『アップアップガールズ(2) アオハル November』)のお芝居のコーナーでも、みなさんの前で演技をすることができたのは嬉しかったですね。
――その時は、成績というか、試験での点数とかはどうだったんですか?
森永 オーディションみたいな感じで試験があって、それで順位をつけられるんですよ。犬が好きだったので、犬の散歩する演技をしたのは覚えてます(笑)。そこで、自己PRって大事なんだというのは学んで、審査員の記憶に残るものをやろうと思って、どんどん順位が上がっていきましたね。
――なるほど! それも、アプガ(2)のオーディションの時に活きていたんですね。
森永 そうですね。オーディションについても、その時に学んだという感じですね。
――それで声優になろうと思って1年間学んで…。
森永 声優になろうと思っていたんですけど、先生には「声優もいいけど、あなたは顔を売っていったほうがいいよ」と言われていたんです。それで声優の養成所のある事務所にもお声がけいただいていましたし、俳優の事務所からも声をかけていただいていました。もう本当に、悩みまくって悩みまくって…それが、中1の終わりくらいですね。
■アニメ→ボーカロイド→踊ってみたでダンスを好きに!?
――ダンスに関しては、さっきちょっと聞きましたけど、子どもの頃は嫌いで、それで好きになったのは「踊ってみた」きっかけだったと。
森永 「踊ってみた」を観るようになって、「あれ? 自分がダンスを学んでいたことが活きるんじゃないか」って思い始めたんです。小5くらいの時ですね。それで、ダンスをちゃんとやろうと思って、中学ではダンス部に入りました。アニメ部とダンス部どっちにしようか悩んだんですけれども、ダンス部が凄く暖かい人たちばかりだったんです。顧問の先生も森永が芸能学校にも通っているというのも理解してくれて、相談に乗ってもらっていました。ダンス部の高校生の先輩がつけた振り付けを踊ったりしていましたね。それで、中三までダンス部でした。
――ダンス部に入っていたというのと、K-POPハマっていたというのを聞いていたので、K-POPきっかけでダンス部なのかと思っていました。
森永 実はそれが、逆なんですよ!
■K-POPとの出会いはダンスから!?
森永 ワタナベエンターテイメントスクール通っていたときの友だちが「踊ってみた」を撮りたいということで協力して、その時の曲がEXO(エクソ)っていう韓国のグループの『ウルロン』っていう曲だったんです。なんか耳に残る曲だなって思っていたんですけど、その時に偶然ダンス部で先輩たちが『ウルロン』で踊るっていって! それで流行ってるのかなって調べて、K-POPだと知って、MVを観たらアニメみたいな人間たちが歌って踊っていて、「なんだこれは!」って思ったのがきっかけで、そこからK-POPをいろいろ観るようになって、ハマりました。
――それで一番ハマったグループは?
森永 NCT(エヌシーティー)っていうグループで、EXOの弟グループみたいな感じです。それで友だちといろいろ駆けずり回ってましたね。もう最前取るのとか大変でしたね。韓国で真夏のフェスがあって「これは日本人あまりいないぞ」っていうことで、友だちと3人で朝からずっと並びましたね。中学生の時は、国内のライブだけだったんですけど、高校は通信だったので時間が自由になってバイトでお金も貯めて、韓国に遠征するようになって…正直日本人で私たちくらいの年代で、現地まで行ってる人はほかにいなかったんじゃないかと思います。だから、なるべく目立たないように、目立たないようにしてました。
――なるほど(笑)。最前行きたいけど、目立ちたくはないというジレンマですね。
森永 そうなんですよ。でもまあ、最前にはいつも顔を知っているガチ勢しかいないんで、目立たないようにするのは無理でしたけどね。それで実は…韓国の大きな歌謡祭にひとりで観に行っていたときに、大事件があって…。
――!? なんですか!?
森永 最前列で観るために入場列に並んでいたら、韓国人の女性2人が鋭い目つきで自分を見ながら、ウロチョロしていたんです。私の最前列のチケット、奪おうとしているヤバい人かと思ってドキドキしていたら、近寄ってきて韓国語で「あなたいくつ?」「どこから来たの?」「なんできたの?」って聞かれて…そうしたら名刺を渡されて、なんと韓国の私も知っている芸能事務所のスカウトだったんです(笑)。速攻名刺を写真撮って親にメールして「ヤバいスカウトされた!」って報告して。それでもう、最前列だったんですけどライブに集中できなくて!
――(笑)。それはそうですよね。
森永 それで韓国の事務所に入って、韓国でひとり暮らしするようになりました。その直前にK-POPのヲタクは辞めていたんですよ。それがまた大事件で、CDのリリースイベントのために10万円分CDを買ったんです。バイトして貯めた10万円で。そうしたら抽選に外れて…イベントのチケットになるはずの10万円が、CDの山だけになっちゃって。それで心折れて、K-POPヲタクは卒業しました。
――それもまた、もの凄い事件ですね…。
森永 それで事務所に入ることになって、それが高2のときでした。でも、韓国では事務所の寮で暮らしていたんですけど、基本的にひとりだし、もの凄く大変で…日本語をしゃべっちゃいけないというルールもあったりして。結局ダメで、事務所を辞めて日本に帰ってきました。そのあとは偶然アニメの『BANANA FISH』を観てハマって、同じアニメ会社の『ユーリ!!! on ICE』も母が録画していたんでそれを一気に観てハマって、アニメに逆戻りして、よく自分で言っているニート時期に入りましたね。もう家でアニメしか観てなかったです。