――『機動戦士ガンダム』以降、安彦さんの名前はアニメージュの表紙や誌面を飾り続けて、さらに「アニメグランプリ」でも受賞を重ねていくことになります。当時は、そういった扱いをどのように受け止められていましたか。安彦 自分に(グランプリの)票が集まっているのは、単にその時の作品に恵まれていただけ、という意識が強かったですね。だって、大先輩の宮崎さんや手塚治虫先生より上にいるんですよ? 「そんなのダメだろう」って思わないほうがおかしい。
だから『クラッシャージョウ』でグランプリを獲った時に、同じくトップの常連だった辻真先さん、椋尾篁さんと一緒に「今後、人気投票は辞退しよう」と決めて、敏夫さんにそう言ったんですよ。その時、敏夫さんが「どうしてですか?」ってすごく嫌な顔をしたのが印象に残っている。彼は賢いから、僕らの考えていることは十分に分かっていて、「でもイベントは別だ」と思ってたんでしょうね。「こちらにたてつくんですか」という気分を、俺は感じたんだよね。
――で、これは本を読んでいただきたいのですが、劇場アニメ『アリオン』の扱いを巡って、安彦さんとしてはアニメージュとの決定的な状況を迎えることになるんですね。映画化の話を聞いて、安彦さんが花園神社で泣くくだりは衝撃的でした……。
「マイ・バック・ページズ」より イラスト/安彦良和
安彦 石井さんに聞かれたから洗いざらい語りましたよ(苦笑)。徳間は『アリオン』より先に『(風の谷の)ナウシカ』をアニメ化したでしょう、あれを観た時、俺はすっかり圧倒されて、「『アリオン』なんて “切った張った” しかないものな」と落ち込んだんだけど、今流行っている『鬼滅の刃』って、その “切った張った” の話なんですよね? 何でそんなに受けてるんだろう?(一同笑)
でも、初めてアニメージュの表紙を描かせてもらった時は嬉しかったですねェ(と、アニメージュ79年9月号を持って)。画材を含めて、いろいろ試させていただきました。
石井 当時としては画期的でしたよね、セル絵じゃなくてクリエイターの絵がそのまま表紙や口絵を飾ったっていうのは。しかし、『ガンダム』で忙しいはずなのに、よく描く時間がとれましたね。
安彦 それはもう「表紙」と言われたら、無理やりにでも時間は作らなきゃ、という感じでしたから。『ガンダム』の2枚目のサントラアルバム『戦場で』のジャケットイラストもそんな感じ、1日だけ時間をとっての「やっつけ仕事」ですよ。これだってそうだよ。よく見ればわかりますって。
石井 いえ、全然わからないですけど(笑)。
安彦 お盆に里帰りをしたら、地元の本屋でこの号を見つけたんですよ。「こんな田舎の本屋にも、自分が表紙を描いたアニメージュが売られているのか」とすごく嬉しかった思い出がありますね。