大塚さんはいつも柔らかな口調で、真実とも冗談ともつかない話で、私を楽しませてくれた。模型の貼り箱(昔のプラモデルの一部は、頑丈な箱に、印刷された紙を貼り付けたパッケージがあった)のボックスアートを収集するために、模型の箱を風呂に浸けて、奥さん(大塚さんの奥さんは元東映動画勤務)に大目玉をくらった話。
『パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻』(73 ※脚本、美術設定、画面構成は宮崎駿、演出は高畑勲)の作画監督(小田部羊一と共同)を終え、次作(『侍ジャイアンツ』)まで半年以上の時間が空いたので、MAX模型の監修に請われ、
Aプロを退社して同社企画部長に就任(一部の追悼原稿で “模型メーカーを起業した” というのは誤り)した話など、思い出は尽きない。
大塚さんとお仕事を一緒にした記憶はほとんどない(ジブリ関係で連絡役を務めるくらい)、基本は模型友達だった。
その大塚さんが逝ってしまった。
もう少しで90歳だったのに残念だ。
とはいえ、その年齢まで、模型(プラモ)や車(主としてジープなどのソフトスキン)や蒸気機関車や狛犬(これは70歳を過ぎてからハマったそうだ)の話題で、楽しい時間を過ごさせていただいた。
残念だが、私にとっては80歳を過ぎても「今度の田宮のキットは最高だね」とか会話ができる老人の存在は心強い。見習いたいものだ。
いまは安らかにお休みください。
▲スタジオジブリ玄関口に飾られている物故された功労者の中に、大塚さんの写真が加わった。2021年4月撮影。
合掌
2021年5月1日 友人・岸川 靖
PS
えっ!?「ジブリの悪口」はどうなったって?
大塚さんが赤裸々に語った内容は、面白くて危険でした。
ホント、冗談にならないくらい。
というわけで、永久に封印します。
まだまだ、わたしは業界で仕事をしたいので。ではー。
>>>大塚氏の写真・イラストなどを見る(写真9点)岸川 靖(きしかわ・おさむ/右・鈴木敏夫氏と)
編集者・ライター、映像研研究家 1957年生まれ、東京都出身。元「月刊アニメージュ」スタッフ。『スタートレック』、怪獣、プラモファン。
写真提供:大塚康生、岸川 靖