• 『雨を告げる漂流団地』監修者が涙した石田祐康監督こだわりの「団地愛」
  • 『雨を告げる漂流団地』監修者が涙した石田祐康監督こだわりの「団地愛」
2022.09.19

『雨を告げる漂流団地』監修者が涙した石田祐康監督こだわりの「団地愛」

(C)コロリド・ツインエンジンパートナーズ

現在公開中のスタジオコロリド長編第3弾『雨を告げる漂流団地』。海上を漂流する不思議な団地を舞台に、7人の少年少女が様々な体験を経て成長するひと夏の物語が丁寧に描かれている。石田祐康監督は、本作のために実際に引っ越しをしてしまうほど団地にハマってしまったそうで、その描写には並々ならぬこだわりが感じられる。

映画公開を記念して、現在発売中の「スタジオコロリド公式ファンブック『雨を告げる漂流団地』」(エムディエヌコーポレーション)に収録された団地監修・照井啓太氏のインタビューを全文掲載。照井氏が語る、団地の真の魅力とは、果たして?

――どのような経緯で、本作に参加することになったのか教えてください。

照井 私は、高校生の頃から団地に興味を持ち、団地の写真を撮り続けてきました。今は、自ら団地に住み、団地の魅力を発信するサイト「公団ウォーカー」を運営しています。2019年に神代団地で開催した「団地写真展」に石田監督が来てくれたのがすべての始まりでした。話を伺うと、なんと団地を舞台にした映画を制作しており、近日中に団地に入居する予定だとおっしゃるのです。後日、自宅にお招きし、準備稿といくつかの絵を拝見させていただきました。「率直な感想をお願いします!」とおっしゃる石田監督を見て、これはもう協力するしかないと思いました。

――本作では、どんな作業を担当されたのでしょうか。

照井 団地居住経験がなかった石田監督にとって、団地をどう描いていけばいいかわからない。そこで、団地に関する疑問にひたすら答えていきました。「団地の屋上はどうなっているのか」「そもそも屋上にどうやって行くのか」「ベランダ越しに会話は可能か」などのたくさんの質問がありました。それらについて図や写真を用いて細かく説明していきました。「ベランダ間の庇に乗ることは可能か」という質問があった時は、仙台市内で同型の住棟を見つけ、「ギリギリ可能そうです!」と現地から連絡したこともありました。

――団地愛好家として本作のどんなところに魅力を感じますか?

照井 団地描写のリアルさについては世界一と言ってもいいですね。モデルとなった団地は建替えられ現存しませんが、取り壊し前に外観だけでなく室内も含め約2000枚の写真を撮影しており、間取り図や設計資料も入手しておりました。本来4階建ての建物が5階建てになっていること以外は、昭和34年に建設された公団住宅のリアルな姿になっています。

――石田監督と一緒に団地のロケハンをされたと伺っていますが、その時の様子を教えてください。

照井 モデルとなった団地と年代やイメージが近い、常盤平団地(千葉県松戸市)をご案内しました。石田監督は興奮した様子でシャッターをきっていました。団地の敷地を歩いているといきなり大雨が降りだし「雨を告げる常盤平団地」となったのはいい思い出です。
団地室内の再現展示がある松戸市立博物館も見学したのですが、現地解散後、なんと石田監督は一人でまた団地に戻り、夜まで団地を撮っていたそうです。

――実在の団地を舞台にしなかった理由は?

照井 団地に住まわれている方々に迷惑をかけるわけにはいかないので、現存しない団地をモデルにすることとしました。作中の舞台となってる「鴨の宮団地」のモデルは、かつて西東京市・東久留米市に建っていた「ひばりが丘団地」です。階数や外壁色、給水塔の形など石田監督によるアレンジが加えられています。

ひばりが丘団地は都内有数の大規模公団住宅で、昭和34年に建てられました。当時はまだ珍しかった上下水道完備の公団住宅は、高収入かつ超高倍率の抽選に当たった者でないと入居できず、庶民にとって「憧れの住まい」でした。たくさんの人々が暮らし、子どもたちが走り回る賑やかな団地でしたが、建て替えが決まると立ち退きが始まり、一気に寂しい風景になってしまいました。すでに建て替えが完了していますが、作中に登場する星形の住棟(スターハウス)は現地に保存されています。

「鴨の宮団地」という名前は私の発案で、鴨の行列が「家族」を思い起こさせることと、かつて公団住宅の募集で鴨のマスコットを使っていたことから「鴨の宮」でどうでしょうと石田監督に提案したところ、採用されました。

(C)コロリド・ツインエンジンパートナーズ

アニメージュプラス編集部

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