• 【追悼】日本の漫画を成長させた!さいとう・たかをの功績とその素顔
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2021.10.19

【追悼】日本の漫画を成長させた!さいとう・たかをの功績とその素顔

さいとう・たかを氏 写真/真下裕


さいとう先生が日本のマンガに遺したものは実に多い。四頭身の子供のような体形キャラではアクションが描けないとスラリと頭身を伸ばした八頭身キャラを生み出し、そのキャラにカッコいいシャツや靴を身に着けさせ、「パンパン」しかなかった銃の擬音に「ズキューン」「バキューン」というリアルな擬音を発明し、日活よりもはるかに早く海外のハードボイルド小説の影響を受けたセリフ回しを持ち込んだ無国籍アクションを1958年あたりからたくさん描いた。マンガに本格的なアクションを持ち込んだのはさいとう先生だ。ここから劇画が誕生していく。

自分で出版社を起こし、作家の選定や読者層を考えて編集もした1962年創刊の『ゴリラマガジン』は日本最初のヤング誌だったし、最大でも一話8ページくらいだったマンガ誌の編集部に「これではドラマが描けない」とかけあって21ページの作品を『別冊週刊漫画TIMES』に掲載したのが1964年だ。扉に「異色大長編」とアオリがあって、21ページでも当時は破格のページ数だったのが伺える。これが人気を得たため、まとまったぺージ数のマンガが雑誌に掲載されるようになり、結果、大人もマンガを読むようになって『ゴルゴ13』誕生に繋がっていく。1969年にマンガ誌ではなく大人向け週刊誌で初めてマンガが連載されたのもさいとう先生の『影狩り』だ。コンビニ向けのコミックス販売を発案したり、時代劇専門劇画誌を企画したりと、作品作り以外のアイデアも豊富な稀有な存在だったのだ。

若かりし頃にストーリーマンガを軽視する大御所風刺漫画家を怒鳴りつけた話や、貸本を馬鹿にした大手出版社の編集者にキレた話など面白おかしく話される様子はまるでガキ大将がそのまま大人になったようだった。自身の体験をベースに描いた『いてまえ武尊(たける)』という作品で子供時代のガキ大将っぷりを垣間見ることが出来るが、相当なヤンチャっぷりも「実際よりだいぶ抑えて描いてるよ」と笑っていた。
▲さいとう先生が自身の不良少年時代を振り返って執筆した自伝的作品『いてまえ武尊』。

仲間や後輩の展覧会には律儀に顔を出し(体調不良をおして車椅子で来られてた事もあった)、袂を分かった人や自分を批判したような人が相手でも亡くなれば哀悼の意を表し、受けた世話や恩は絶対に忘れず、そして自慢話をしない。何度か取材やお話をさせていただいただけだが、さいとう先生の筋を通さんとする大人のふるまいは描かれる劇画そのままでもあった。ヤンチャと大人が混ざり合った理想のガキ大将、さいとう・たかを。長い間本当にお疲れ様でした。たくさんの劇画をありがとうございました。

>>>さいとう・たかを氏の写真、代表作を見る(写真4点)

(C)さいとう・プロダクション

アニメージュプラス編集部

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