劇場版『Gのレコンギスタ I』「行け!コア・ファイター」公開の富野監督が映画を語り、いろいろ発表前の押井監督も映画を語る。映画で始まった日本アニメは、テレビを経由して、映画に戻れるのか?
【コラム】現実逃避に首ったけ⁉(1)アニメじゃないよ映画だよ、アッという間に何になる? 劇場版『Gのレコンギスタ I』「行け!コア・ファイター」が、最初は2週間限定として劇場公開されていました。
まだ劇場には足を運べていないのですが(これを書いている今が第一弾の最終日、2020年1月からのセカンドランもあるのだが) 、アニメージュプラスの過去記事では、「もしできることならば始め3分を観て頂けませんか?」と富野由悠季監督の言葉を使いながら、劇場版の紹介していました。
過去記事:
富野由悠季総監督「もしできることならば始め3分を観て頂けませんか?」劇場版『Gレコ I』冒頭映像がウェブ解禁(アニメージュプラス) TV版の『Gのレコンギスタ』放送から5年、富野監督はずっとこの劇場版へのリメイク作業に専心していたのは知っています。某仕事で、5年前に『Gレコ』スタジオをお尋ねしたのですが、TV放送終了からしばらくした時期、すでに劇場版の修正作業に移行していらっしゃいました。
今年は、全国6カ所で開催される『富野由悠季の世界』展のうち、まずは第1会場・福岡、第2会場・ 兵庫が消化されていますが、どちらも盛況のようで、来年にも上手くつながっていくだろうことは寿ぐべきことです。
過去記事:
「アニメは映画だ」富野由悠季監督の魅力が回顧展となって全国巡回中!(アニメージュプラス) 富野監督は、日本(TV)アニメ史のなかで、前例のない新機軸の作品をもっとも多く生み出したといっても過言ではない革命者です。しかし自らが生み出した『機動戦士ガンダム』の人気・ビジネス規模が大きくなりすぎたという呪縛に、ずっと戦い続けなければならなくなった宿命のひとです。
一時期は「バイストン・ウェルの物語」によって払拭しようと試みたのですが成功にまで至らず、今回は(最初の『機動戦士ガンダム』劇場3部作よりも慎重なやり方で)「映画」という土俵を設定することで、幻影としての敵「ガンダム」を凌駕しようとしているのでしょう。
革命と宿命。ああ、富野監督はやっぱりチャーミングだ。
しかし、その「劇場版」と銘うたれた『Gレコ』はたぶん、各種方式による配信が同時に行われ、最終的にはパソコンや携帯で観る人間のほうが多くなってしまうのでしょう。
となると、同時に考えざるをえません。
アニメーションはどうしたら「映画」になるのでしょうか?
「映画」っていったい何なのでしょう。その必要条件、絶対条件は?
ネットの「文春オンライン」で、押井守監督が話している記事が、ほぼ同時期に配信されており、そこでは押井さんがやはり「映画」について話していました。
参照記事:
「あの事件でスピルバーグは過去の遺物になった」押井守監督が感じた“ハリウッドの破壊者”の限界(文春オンライン) 内容は個人的に聞いたこともある話で、昨今の「映画」の視聴の現状、制作の現状についてが記されていました。
いくつかの押井さんの本の編集に関わりましたが、フレーズとして何よりも、斬新だったのが2004年発売の書名にもいたしました
『すべての映画はアニメになる』です。もう15年以上の歳月がたっているのですがまさに予言です。なんせ、実際そうなってしまったのですから。
実写映画とはいえ、CGを使ったシーンにはあらかじめ絵コンテが必要であり、文字の脚本のみで撮り進められる映画作品、シーンの比率は年々どんどん下がっているでしょう。世界的ヒットをかさねた
「マーベル・シネマティック・ユニバース」作品(以下、
MCU)で、俳優の自由度はどれくらいあるのでしょうか。
もともと日本での商業アニメの歴史のおおきなスタートラインは、戦後の東映動画の劇場長編アニメとなりますが、それが手塚治虫の
『鉄腕アトム』のテレビ放送がはじまることで時代が変わりました。東映動画から旧虫プロに移籍した過去をもつ杉井ギサブロー監督は「手塚先生はアニメという発明をした」と肯定的な見解を示していましたが、同じ東映動画出身でも宮崎駿監督はその変容をネガティブなものとしてとらえ、一時期は手塚批判の発言をしていました。つまり、スタジオジブリの成功は、「アニメ」によって席捲された領土を、「アニメーション」の正当な嫡子が貴種流離譚のように舞い戻ったということなのです。