――作品もさることながら、アンヌ隊員もいまだに高い人気を誇っているわけですが、ひし美さんはその理由をどうお考えですか?ひし美 フフフ、それは男の人の胸の中に必ず一人「理想の女」がいるからでしょう。
――しかし、視聴者みんなの心の恋人になるというのはすごいことでは。ひし美 アンヌは実際の私と180度違う存在で、こういう人は本当に尊敬しちゃう。だから結局、役柄で得しているだけなんですって。おバカな私が演じたことで、奇妙なマッチングをしちゃっただけ。自分は『ウルトラセブン』という作品の中のOne of Themでしかないんだから。
――いえいえ、奇妙というより「奇跡」なんだと思いますよ。ひし美 才媛の女性の演じ方だと目線が高いものになるんでしょうけれど、私は芝居ができなくて地で演じていたから、そういうところに「隣りのお姉さん」的なムードを感じてもらえていたのかもしれないな。
――確かに、敷居の低さみたいなものは感じられました。ひし美 「低嶺の花」なの、私(笑)。でも、そういう意味でもツイていたと思います。金城哲夫さんたちのシナリオも良かったし、冬木(透)先生の音楽も良いし、成田(亨)さんのデザインしてくれた警備隊のスーツは胴太の私を細く見せてくれたし……そういういろんな要素が上手く絡み合って、アンヌという存在が生まれたんだと思います。だから、アンヌの人気の秘密はツキよ、ツキ! 今の私の人生は、ツキのおまけみたいなものだもの。
――目線を変えれば、55年ツキ続けているという言い方もできるのでは?ひし美 アハハハハ! なるほどねぇ。
――ちなみに、アンヌ以外の「女優・ひし美ゆり子」の仕事で印象に残っているものといえば、何になりますか。ひし美 やっぱり『好色元禄(秘)物語』(1975・関本郁夫監督/R-18指定)ね、あれは唯一の主演映画だから。あとはだいたい、主役の横をうろちょろしているような役ばかりだった。菅原文太さんで言うと『新仁義なき戦い 組長の首』(1975・深作欣二監督)や『まむしの兄弟 刑務所暮らし四年半』(1973・山下耕作監督)とか。
あと一番大変だったのでよく覚えているのは『必殺仕切人』(1984・朝日放送)。長女を生んでまだ3か月も経ってない時に、芦屋雁之助さんの奥さん役でレギュラーの京都撮影を入れられちゃって。私、その頃自分では女優を引退していたつもりだったから……。
――それは確かに大変なタイミングですね。ひし美 でも松竹撮影所は本当に素晴らしかった。まさにプロフェショナルって感じで休み時間もずっと仕事をしていてね、冗談ばっかり言っているセブンの現場とは大違い!(一同笑) でもセブンは若い仲間と和気藹々でやれたし、そういうムードが作品に反映されていて良い結果になったとも思うんです。
――せっかくの機会なので、ひし美さんの近況もお聞かせください。ひし美 最近は骨折して入院したことをきっかけにすっかり出不精になっちゃった。Twitterもあまり書き込まなくなっているし、いろいろ面倒になっちゃって……でも、それは良くないと自分でもわかっているので、気をつけなくちゃと思っているところ。
――そうですよ、いつまでもどうぞお元気でいらしてください。ちなみに、アンヌのアクリルフィギュアはお部屋でどんな風に飾りたいですか。ひし美 もう見本を戴いて飾っていますよ、テレビの近くにアンヌの団扇と一緒に。
――団扇とアクリルフィギュアの組み合わせって、完全にアイドルのそれですね(笑)。では最後に「今後こんなアンヌの商品を出せたら」という希望はありますか。ひし美 そうね……アンヌはメディカルセンターに勤務していて、私も骨折を経験したから救急箱なんかどうかな?(一同笑)
▲「ひし美ゆり子写真集 All of Anne:2021」(復刊ドットコム)より
ひし美ゆり子1947年生まれ。1964年高校2年生の時に東宝にスカウトされ、1966年に映画『パンチ野郎』でデビュー。1967年10月から放送がスタートした『ウルトラセブン』で演じた友里アンヌ隊員役は今なお特撮ファンの大きな支持を集めている。1972年には東宝を離れ、フリーとして数多くの映画・ドラマに出演。
>>>セブンとのツーショットも! アンヌ隊員のアクリルフィギュア&写真集掲載カットを見る(写真7点)(C)円谷プロ