• アスカ=自分! つるの剛士が語る『ウルトラマンダイナ』への想い
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2022.04.01

アスカ=自分! つるの剛士が語る『ウルトラマンダイナ』への想い

つるの剛士(左)、ウルトラマンダイナ(右) (C)円谷プロ




──まずは小田原短大卒業、おめでとうございます。教員免許をお取りになったんですよね。

つるの 人生100年時代と言われていますからね。芸能界だけの仕事で生きていくというよりも、もっといろいろできたらいいなと思って。実際、自分も子どもを5人も育てていましたし、今までの自分の芸能生活を振り返っても、ウルトラマンも含めて子ども関係の仕事をいろいろやらせていただいて、自分の経験も豊富ですし。何かここらで、一念発起でいいかなと思ってて。最初は独学でいこうと思っていたんですが、僕は高卒だったので、教員の国家試験を受ける資格がないんです。それだったら短大に入ってから資格を取っていこうと。

──幼稚園を選んだのはなぜなんですか。

つるの 幼児教育に興味があったし、自分自身も保育とかをやってきた経験もたくさんあったので。保育を学んできたので分かるんですが、幼児教育には総合的な学びがあるんです。まずは幼児かな、と。ただ幼児教育をやっていると、やっぱり問題提起もだんだん小学校の方へ移行してくるんですよね。せっかく幼児教育で育った子どもが、小学校でみんな普通になっちゃうというパターンがあるので。勉強すればするほど、小学校の勉強もしたいなという欲が出てきたのも確かです。来年、専攻科に進むんですが、その後四年制大学に行こうかな、という夢もあります。

──芸能活動との両立は大変だったのでは?

つるの それが、世の中がコロナになって、僕らも仕事ができなくなっちゃった。でも逆に勉強できる時間ができたんです。無事に卒業できてよかった、仕事しながらだったら無理でしたね。本当にナメてました。良かったです。

――『ウルトラマンダイナ』も放送から25年、もう後輩のウルトラマンの方が多いぐらいです。つるのさんにとって、ウルトラマンダイナはどういう位置づけですか。

つるの もう、一心同体で、あまり自分がウルトラマンだとかウルトラマンじゃないだとか、そういうことすら最早なくて、区切りがないんですよね。前から言っていますが、僕は『ダイナ』がドキュメンタリーだと思っています。もちろん『ダイナ』が始まってからの1年間はアスカの成長記でもありましたが、終わったあとのアスカも僕は作品だと思っているんです。いまだに『ダイナ』のことを応援してくださる皆さんは「アスカ、アスカ」って言ってくれるし、僕自身もつるのとアスカの隔たりがないから、アスカを生かすも殺すも僕次第だと思ってます。

――ご自分と役を分けられる役者さんと、がっちりリンクされる役者さんがいらっしゃいますが、つるのさんはほぼアスカとブレがないという感じです。

つるの 放送が終わった後、僕自身も『ダイナ』『ダイナ』と言い続けてきましたし。このあいだりっちゃん(斎藤りさ:ユミムラ・リョウ役)に言われたんですよね。「ダイナがこうやってみんなから応援されているのは、つるちゃんがダイナって言い続けてるからだからね、ありがとう」って。自分ではそんな意識はなかったんですよね。

──役者さんによっては固定的なイメージがつくのを嫌がるというか、毎回違うものになりたいという方もいると思いますが、そういう意識は全くありませんでしたか。

つるの 僕自身があまり俳優にこだわってなかったからだと思うんですよね。今でもそうですが、肩書不明なんです。歌も歌う、俳優もやるし、バラエティやってと言われたらやるし、バカやってと言われたらやるし。幼稚園の先生やってと言われたらやるし。やること、できることを全部やりたいんですよ。あんまり真面目に「俳優とは!」みたいな感じではなかった。亮さん(木之元亮:ヒビキ・ゴウスケ隊長役)がどちらかというとそんな感じだったから、「つるちゃんはもう少しこういう風にしたほうがいいよ」とか説教を受けたりしてましたけど、心の中で「うるせえな」って思っていたので(笑)。超生意気だったから。

――つるのさんとアスカは切り離せない存在だとは思うんですが、あえて当時のご自身の演技を振り返ってみてどうですか。

つるの それは酷いですよ(笑)、聞かないでください。芸能界に入って間もない僕の成長期ですから。如実に、わかりやすく1年間で成長していますね。自分の心持ちもそうなんだけど。最初はもう本当に「ハァ!?」とか思っていましたからね。劇中まんまですよ。指導役のリョウ隊員がいて、僕は訓練生で、状況も自分の心の中もあんな感じです。なんでこんな所にいるんだ、俺、って感じでした。それが続けていくうちに、スタッフさんの苦労や現場の大変さ、いろいろな人の背景が分かってきたりしたんです。芸能界に入ってきた若造の成長記でもあるし、スーパーGUTSに入ってきた若造の成長記でもある。あの1年は恥ずかしくなるときもありますけれど、これはこれで僕のまんま、成長記なんだなって思っています。児玉(高志)監督に最後言われましたからね。「アスカ変わったね」って。それが答えだと思います、多分。

――素晴らしいご経験だったと思いますが、強いてその時の自分にひとつだけ何かを伝えられるとしたら、何を伝えますか。

つるの 当時も監督さんに言われたんですよ。「つるちゃんね、この作品は地球の裏側まで永遠に残るんだからね。それを意識しなよ」って。何言ってんだよって思っていたんですが、でも本当に残るんですよ。ちゃんとやっときゃ良かった。何であんなに朝まで飲んで裏スーパーGUTSやってたのかなって思って。でもその結束感というのもすごい財産でした。それはスーパーGUTSのキャラクターもあったし、アスカのキャラクターに助けられているところもあったと思いますけれど。今の役者さんはみんな真面目で、ものすごくちゃんとしてる。感心するもん、すごいなって。でも言い訳するなら、それ以上に大切なものをうちらはちゃんとあの現場で養っていたんだと思います。後輩にも、もうちょっと不真面目になれとか言うことはありますね。

(C)円谷プロ

ライターぬのまる

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