• 『王立宇宙軍 オネアミスの翼』監督・山賀博之が語る伝説の真相【4Kリマスター版上映】
  • 『王立宇宙軍 オネアミスの翼』監督・山賀博之が語る伝説の真相【4Kリマスター版上映】
2022.10.27

『王立宇宙軍 オネアミスの翼』監督・山賀博之が語る伝説の真相【4Kリマスター版上映】

(C)BANDAI VISUAL/GAINAX


【とにかくただ、楽しかったから】

ーーデザインした人、それを描く人、人がイメージしたものが、本作のフィルムの隅々にまで詰まっていますね。「画面の中のものはすべて人によって描かれている」というアニメーションの原点に気づかされる気もします。

山賀 さらに言えば、この目の前のペットボトルも誰かがデザインしたものだし、この座っているソファも誰かがデザインしたもので。プロのデザイナーがデザインして、いろいろな事情でこの大きさ、この形になっていますよね。僕らの身の回りのもの、この世界にあるものはすべて何かの理由によってその形になっているわけで、デザインされたものに囲まれて僕らは生きている。そういう意味では、僕らはアニメの中で生きているのと変わらないとも言えるんじゃないかと。

そして、現実では何から何まで作られているとは感じないのに対して、アニメはそれを手で改めて描いてみることでその感覚を惹起させる。「これを人間が手で描いているのか」と意識してもらうことができる。それがアニメの異世界のおもしろいところですね。

ーーそういった「デザインされた世界の妙」を改めて確認する上でも、4Kリマスターは画期的ですね。そして、解像度が上がっても遜色がない画面が、当時から作られていたということでもあるのかなと思います。

山賀 でも意外と、今のアニメに比べるときっちり描いてはいないんですよ。そこもやはりテクニックです。特に美術のテクニックですが、物量があるように見えて意外と描き込んでいない。ほとんどがポスターカラーの溝引きで、スーッと直線で描かれている。昨今のCGで描かれた美術背景のほうが情報量は多いです。でも、この作品のようにポスターカラーで線を引いただけで描いた背景のほうが、なぜか密度感を感じる。人間が引いた線というのはそれだけ人の目を引きつけるし、情報量を気分としてあげていくんでしょう。

今のアニメの美術はどんどんリアルになる分だけ、自然すぎて印象に残らないこともある気がします。それに対して、『王立宇宙軍』の美術はそれほどの情報量ではないけれど「ひとつひとつ手で描いていますよ」という主張があるから、情報量が多いように見える。描き込んであるように見える。実際は、直後に作られた『AKIRA』の背景のほうがちゃんと描いてあって遙かに情報量が多いです。もっと言えば『火垂るの墓』の美術のほうが……そうそう、『王立』制作中に誰かがスタジオジブリから、撮影済みの背景を1枚もらってきて見せてもらったけれど、みんなで「いやぁ、オレたちとは人生観が違うな……」って言ってましたよ(笑)。だって、土手の草の1本1本、何が生えているかわかるように描いてあるんだもの。それで、うちの美術スタッフと「これは人生観が違う。ここまで描く時間があったら、オレたちは飲みに行く」って(笑)。

そのくらい、その後のアニメ映画のほうがきっちり描き込んであるし、情報量も破格に高かったはずです。『王立宇宙軍』の背景は飲む時間を差し引いてやっていた分(笑)、美術スタッフのテクニックで情報量をあげていたんですよ。

ーーそしてもう一点。見直してみると本作は、ことのほか青春ドラマとしても濃密に作られている気がしました。そこはやはり、当時まだ若者だったご自身たちの気持ちが反映されていたのでしょうか。

山賀 それは本当に毎回聞かれるのですが、意外とそうでもないんですよ(笑)。聞かれるたびにいつもお答えしているのは、当時の僕らは決してあんな感じじゃなかったんです。

じゃあ、どんなだったのか言われると表現するのは難しいけれど。ただ、ひとつ自分の思いを反映させたことがあるとすれば……当時のアニメーター、アニメ関係者というのは、とにかく自分の職業を聞かれるのがいちばん嫌だったんですよ。女の子をナンパしても「何の仕事をしているんですか?」と聞かれたら「デザイン関係です」と答えていた(笑)。実写が本物の映画、TVがその次、もしかしたらその次くらいにエロ系があり、最後がアニメ、みたいな空気があったんですよね。映像業界自体が社会の中で下だけど、その映像業界の中でもいちばん下。アニメより下はない。まあ、卑屈にもなるよなというくらい、社会的にも認められていなかった。

でも、何となく自分なりに思ったんですーー実際に生きている感触として、そうじゃないだろう、と。たとえば、庵野なんてすごい作画をやっていて「この男は間違いなく世界一だ」と思っていました。世界一のアニメーターだと本当に思った。でも、世界一のアニメーターは、100m走の世界一の人と比べると明らかに扱いが悪い(笑)。ウィンブルドンで優勝するテニスプレイヤーやF1で勝つレーシングドライバーに比べても、あまりにも扱いが悪いわけですよ。世間で「この人の作画は世界一だよ」と訴えても、何のことやらという感じですよ。

でも……それでも「これは凄いことだ!」と言いたい。そんな気持ちが、あの宇宙軍の描写に込められているというのはあります。それが青春ものということなのかも……というか、まず「アニメって青春ものだよね」という勘違いが自分の中にあって(笑)。いや、勘違いじゃないのかな? とにかく「アニメである以上、青春ものになりますよね」みたいな感覚があったんです。
僕は『超時空要塞マクロス』というものでアニメを知ったので、何か若い男女がわちゃわちゃするのがアニメだと、どこかで刷り込まれているところがあったのかもしれない。でも、割とそうでもないですよね。

ーー若いキャラクターが活躍する作品は多いですが、この作品の青春群像劇的な雰囲気は、アニメでは意外と少ないかもしれないです。

山賀 吉田秋生の『河よりも長くゆるやかに』という漫画がありますよね。当時、あのムードがいいなぁというのはありました。あの作品のような雰囲気はあまりアニメになっていなかったし。それ以降、たとえば2000年代以降だったらそういう空気感を持ったアニメもいろいろ出てきたと思いますけれど。単なる熱血ものでもない、何でもない若者日常だけど少し変というような感じですかね。

ーーそのムードがでも、どこか普遍的といいますか……。

山賀 まあ、逆に言うと普遍的ということは「とりたてて言うまでもない」というか、「よくあるパターン」というか(笑)。普遍的って格好いい言葉ですけどね。

ーー(笑)。でもさらに逆を言えば、そういう「よくあるパターン」を、時代を超えて楽しめて、なおかつ独自の手触りも感じさせる。それが『王立宇宙軍』の素晴らしさだと思います。

山賀 まあ、普遍というのはそういうことで、それをやっておかなければいけないという気持ちがあって……当時はアニメということがよくわからなくて、「青春ものでやらなきゃダメだ」とか「メカが出てこなきゃダメだ」と勘違いしていたけれど、だけど、実は勘違いではないといえば勘違いではない。普遍性を狙おうと思うなら、メカとして美しいものを描いておかないといけないし、青春ものとして成立させないといけない。そういうことだったのかもしれないですね。

――では最後に。2022年の今、この作品を観る意義、特に若い人に観てもらう意義について、監督としてはどのように感じていますか。

山賀 多分、今のほうが当時より、世の中が硬くなっている気がするんです。特に若い人が、仕事というものに対して硬いですよね。これは、オジサンの希望みたいなものでしかないのかもしれないけれど、この作品の「破れかぶれな空気」を今の時代、受け取っていただけるのであればいいんじゃないかなと思います。

当時の僕らは、瞬間、瞬間が楽しいという気分で作っていた。もちろん先行きの不安がまったくなかったわけではないけれど、それよりは「今日が楽しい」ということを重視していた。何であれとにかく僕たちは楽しんでいました。今の若い人にも、もっと楽しんでいただきたいな。楽しむことは悪いことではもちろんないし、楽しむことで生まれる生産性というのは絶対にあるので。もっといい加減というわけではないけれど、もっと楽しむことを中心に据えてやっていくーーそういう世界を感じていただきたいです。

ーー実際、山賀さんをはじめとした当時のスタッフのみなさんが楽しみながら作った結果、これほどの作品ができあがった。

山賀 そうですね、毎日楽しかったです。「苦しさを情熱で乗り切った!」という伝説みたいな捉え方で見られがちですけれど、実はそんなことは全然なくて。とにかくただ、楽しかったからやっていただけなんです。


(C)BANDAI VISUAL/GAINAX

アニメージュプラス編集部

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