• 鈴木敏夫が『アニメージュとジブリ展』で語りつくした「出発点」と「現在」
  • 鈴木敏夫が『アニメージュとジブリ展』で語りつくした「出発点」と「現在」
2022.12.31

鈴木敏夫が『アニメージュとジブリ展』で語りつくした「出発点」と「現在」

(左より)オープニングイベントに登壇した鈴木敏夫プロデューサー、写真家のカンヤダ・プラテンさん (C)Studio Ghibli

2023年1月3日から「アニメージュとジブリ展」が松屋銀座8Fイベントスクエアにて開催。この展示は、スタジオジブリ鈴木敏夫プロデューサーが在籍したアニメ雑誌「アニメージュ」の誌面・素材、また関連作品の貴重な資料を展示することで、7080年代アニメブームの成熟と隆盛、そしてスタジオジブリ誕生までの道のりを俯瞰することができ、2021年に同会場で行われた展示からさらにバージョンアップされた内容となっている。

開催に先立って12月28日にマスコミ向けの内覧会、並びにオープニングイベントが行われた。イベントにはスタジオジブリ・鈴木敏夫プロデューサー、ジブリが発行する小冊子「熱風」に連載を持つタイ出身の写真家カンヤダ・プラテンさんが登壇、展示にまつわるトークを展開した。


MCにスタジオジブリプロデューサー・石井朋彦さんを迎えて、イベントはスタート。
尾形英夫初代編集長に「お前が作って」と言われ、アニメへの興味がないままアニメージュの現場を取り仕切ることになった鈴木プロデューサーは、創刊号で宮崎駿監督・高畑勲監督と出会うことになる。

「人間というものは不思議なものですね、『何でアニメなんてやらなきゃいけないんだ』というマイナスの出来事がプラスに転化した」

そう語る鈴木プロデューサーは、今回の展示でひとつ注文を出したという。それは「この雑誌を作った尾形という人を紹介してほしい」ということだった。
「尾形さんのおかげで今日の僕があると思っているんです。先のことを考えず無茶苦茶を言って、『風の谷のナウシカ』をアニメにしようと言ったのもこの人なんですが、『(アニメは)お金がかかるから5分だけにしよう』と言われたのが心に残ってます(笑)。でも、物事ってこういう風に始まるんだなって」と、改めて尾形初代編集長あってのアニメージュであり、スタジオジブリであることを強調した。
▲(左から)石井朋彦プロデューサー、鈴木敏夫プロデューサー、カンヤダ・プラテンさん

そこからのトークは、前日に「アニメージュとジブリ展」の展示を撮影していたカンヤダさんの写真を見ながら進行。アニメージュの表紙から飛び出すように配置された巨大なネコバス、80年代のアニメファンの部屋を再現したスペースなどが独自の視点で切り取られている写真の中で、1981年のアニメージュ本誌にフォーカスを当てたものが。
鈴木プロデューサーは「81年は『機動戦士ガンダム』の映画が大ブームを起こしている頃。TVシリーズが打ち切りになった時『もしこれを再編集して映画にするなら』という企画を富野(由悠季)さんと一緒にやったんですが、これをきっかけに『映画を作ることは面白いんだな』と思うきっかけになったんです」と語り、バンダイの要請を受けてアニメファンにガンプラをアピールする大特集を組んだことも明らかにした。

さらに腐海と巨神兵のジオラマの写真では、『風の谷のナウシカ』にアニメーターとして参加した庵野秀明さんの思い出話に。「いきなりスタジオに現れた彼を面接した宮崎駿は、即採用を決めた。何故かと訊ねたら『雰囲気が良かった、テロリストみたいだ』って(笑)」と、二人の意外な形の出会いに触れた。

※宮崎駿監督の崎はたつさき

(C)Studio Ghibli

アニメージュプラス編集部

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