• 『映像研には手を出すな!』を観ながら、ふたつの歌合戦について考える
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2020.01.19

『映像研には手を出すな!』を観ながら、ふたつの歌合戦について考える

『映像研には手を出すな!』を観ながら、ふたつの歌合戦について考える


 【メモ3】年末に読んだマンガでは、大島弓子の『キャットニップ(3)』がすごい。大島さんのマンガはそれこそ40数年前、中二のころから愛読しているが、現在刊行中の『キャットニップ』はエッセイマンガなのだが、この前の2巻から、いろいろな猫たちの病気、苦難、死を繰り返し、全頁にわたって淡々と描かれており、少女の姿をした須和野チビ猫の『綿の国星』から、擬人化されていない『グーグーだって猫である』を介して、ここまで至っている経緯を考えると、川端康成の『末期の眼』を軽々と超えているのが分かる。比類なきコミックである。仏たちが生命を踏みしめながら更新していく、山岸凉子『日出処の天子』のワンシーンが脳裏をよぎる。キャットニップは西洋マタタビと呼ばれるハーブ、医療用大麻の是非があたまに浮かぶ。

 【メモ4】紅白歌合戦で「ひばりAI」が歌うのを視聴する。グッとくる。画像はそれほどではないが、歌は正真正銘美空ひばりの新曲に聞こえる。ユーチューブの日本コロムビアの公式で、その曲『あれから』を流し、北野武(72才)、リリー・フランキー(56才)、EXILE ATSUSHI(39才)、指原莉乃(27才)、村上虹郎(22才)、中島セナ(13才)といった人々が聞いている映像を見る。当然もっとも年長で死にかけた経験(数度)もある武が感極まっているが、若年層にもなんらかの感情がわいているようにも(映像では)見える。これは何なのだろう。人は「死」の姿を視野に捉えた瞬間から(当然個人差があるだろうが)、懐かしいという感覚=ノスタルジーを実感する。「昔はよかった」と「明日はいい日に違いない」の相克が人生なので、年齢差60の6人にその「あわい」を、(その濃密さの差はあれど)届けることのできた(ようにみえる)のは美空ひばりという生命体の凄さなのか、それともそれを再生させた現在のAI技術の凄さなのか? もしくは文化的遺伝子(ミーム)や集合的無意識に接触したのか? 一時期「不気味の谷」という言葉が喧伝された。視覚反応で、ロボットなどが人間の姿に似せられていった時の違和感をそう表現したのだが、今回の場合はどうだろう。懸命にも、だれも画像については言及していないようだ。それほど大したことはない、ゲームの3Dくらいに落とし込まれている美空ひばり像は変に立体にしていないので救われた気がする。5年前に物故した浪速の名人落語家・桂米朝を模した 米朝アンドロイド(こちらは生前のうちに作成されたのだが)のようなひばりアンドロイドだったら興ざめだったはずだ。そこで気になるのが、聴覚反応だ。俗にいう絶対音感を持っている人にとっては、「音の不気味の谷」というのはないのだろうか。気にかかる。しかし今回のことで、SF作家フィリップ・K・ディックが『ブレードランナー』の原作小説中で登場させたバーチャル宗教「マーサ教」のようなものがとてもリアリティをもってしまった(とくにNHKスペシャルを見てしまうと。まさに『日本人はAIひばりの夢を見るのか』だ)。これは良いことなのだろうか? 秋元康は丸顔小太りのメフィストフェレスなのではないのか? 

7代目アニメージュ編集長(ほか)大野修一

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