• もし吾妻ひでおの美少女マンガを読んでいたら、『ジョーカー』も多少は癒されていたかも
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2019.11.29

もし吾妻ひでおの美少女マンガを読んでいたら、『ジョーカー』も多少は癒されていたかも

漫画家・吾妻ひでお(享年69歳) Photo/小林嘉樹



 一時期(たぶん90年代~0年代にかけて)、サブカルとオタクの対立構造が語られたりもしていましたが、当時は、そんな壁などやすやすと越えうる存在が〈吾妻ひでお〉だったのでした。



 しかし、80年代後半となると事情が変化していきます。

 吾妻作品の発表は減り、当然新刊の発売も限られてくることになりました(たぶん多くの出版社で吾妻ファンの編集者が企画提案を続けたのでしょうか。過去作品を仕立て直した単行本が継続的に出版され、後年(たとえば今)書誌を見るだけでは当時の雰囲気は分からないかもしれません)。個人的にはその時代景色の変容は、「SF」というレッテルの価値の変化と同調するように感じられてなりません。

 私が徳間書店に入社して、「少年キャプテン」の編集者となったのは1987年春――昭和でいうと、残り2年を切った62年。何かが終わって、何かに代わっていく、そんな時代でした。

 吾妻さんは、漫画業界では後のカテゴリーでいう「消えたマンガ家」のような存在となっていました。

 正確に何年のことだったかは覚えていないのですが、徳間書店の同じフロアには休刊した「リュウ」の編集長であった校条満氏が(編集総務)として私と机を並べており(校条氏は虫プロ商事で多くの単行本を編集しており、虫プロコミックス全般に加えて石ノ森章太郎『ジュン』の初版もつくった歴史の生き証人です。詳細は大塚英志『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』に)、彼から失踪中だという吾妻さんの状況をきいたり、まんだらけで販売された吾妻さんお手製のオブジェを購入したりもしました(後年引っ越しの折に壊れてしまいましたのが心残りです)。



 最期の第3期が、編集者としてお付き合いいただいたのが、2006年から10年間ほど。

 まずは、多くのマンガ家の皆さんにご協力いただいた、「あなたの地元を沈めませんか・テーマ」の描きおろしアンソロジー『日本ふるさと沈没』(2006)での短編『帰郷』、ほか「COMICリュウ」創刊号では1993年の『定本不条理日記』に収録された『不条理日記’93……あとがきにかえて』以来13年ぶりの『不条理日記2006』を、あと〈萩尾望都SF大賞受賞記念〉としてお二人の対談とエッセイマンガ、同誌の新人賞の選考委員は吾妻ひでお&安彦良和のコンビでずっとお願いしていました。「COMICリュウ」から抜けてからは書籍では香山リカ弟・中塚圭骸とのトーク本『失踪入門』(2010、この本文中で高野文子:鼎談も実施)、小松左京追悼本『さよなら小松左京』(2011)での『ゴルディアスにも結べない』、ムック『非実在青少年 読本』での吾妻ひでお×山本直樹×とり・みきのクロストーク、西原理恵子・月乃光司との書籍『実録! あるこーる白書』(2013、この書籍の発売記念イベントではメジャーデビュー前の大森靖子も歌で参加)、また私が「ハイパーホビー」誌に異動してからは同誌休刊時期に刊行した隔月ムック「キャラクターランド」での吉田豪インタビュー、同9号の冊子付録「シン・ゴジラとは何だったのか?」に収録した『大統領特使さとみちゃん』――たぶんこちらがお仕事お願いした最後になるでしょう。



 吾妻さんとは約10年の間、何度もお会いしていました。ほかの方々が酒類を口にする中、本当かそうでないかわかりませんが「もう飲みたいとは思わないよ」と語ったり、アルコールが原因で亡くなられた方々のことを話しながら些か悲しげに笑ったり、「禁煙より禁酒をみんな訴えるべきだ」と言って連続でタバコに火をつけたり、ギターを練習し始めたけどなかなか上達しないとか、いつどんな精神状態になるかわからないから電車は各駅停車しか乗れないといったこと、さまざまなSF作品の感想など、いろんなことをお聞きしました。

7代目アニメージュ編集長(ほか)大野修一/Photo:小林嘉樹